またもや?中国「ドタキャン」

日中総合政策対話に臨もうとした日本の谷内正太郎外務次官が、中国の戴秉国(タイピンクオ)筆頭外務次官に待ちぼうけを食らった。場所は北京。先日、呉儀副首相が小泉首相との会談をドタキャンした一幕を思い起こさせる。

呉副首相が後に明かしたように、ドタキャンの原因=靖国問題だったわけだから、今回もその筋のメッセージなのだろう。今回、日本側の受け止め方は外交筋も庶民もほぼ一様で、心の半分程度には怒りもこみ上げるが、それよりも「隣国はこんな国だったのか」という驚き・脱力感が、残りの半分程度を占めてしまう。一部に、日本外務官僚の不甲斐なさを嘆く声もあるが、そのことについては、いずれ別に論じたい。

私は、8月15日付けの本ブログで、呉副首相の件を論じ、「目的のために手段を選ばない中国を、手段を選んで目的を失うことが多い日本が張り合っていても、お互い得るものは少ない」と締めくくった。今回も、この仮説に沿った形で考えてみたい。(仮説が正しいかどうか、はいずれ再検討したい。)

私は、中国が今回見せた無礼極まる態度さえ、日本に長期的な影響を与えるだろう、と危惧している。なぜなら、中国は「靖国参拝を牽制する」という大目的があり、その目的達成のための手段を行っている。一方、日本は「対話(外交)を続ける」という手段が先にあるので、今回キャンセルされた原因を究明せざるを得ない。これが呪縛となって、一層「次の対話を成功させる」方向へとインセンティブが働くからだ。

実際、呉副首相のドタキャンが功を奏してか、日本の衆院議長、元・前首相たちがそろって小泉首相に、靖国参拝自粛を要請していた。今回も、今は怒りが支配的でも、時間がたつと「中国があんなに言うんだから・・・」という方向に、行ってしまいかねない。これは、外務官僚だけでなく、日本人が国民性として持っている性格に由来するように思われるのだ。

小泉首相は、今こそ、明確なメッセージを発する時である。